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鹿児島の旅と歴史
鹿児島の旅    奄美大島・加計呂麻島

諸鈍シバヤ
しょどんしばや
鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍・大屯神社


  太鼓や鉦・指笛、にぎやかな音に囃子歌がひびき、ひょうきんなお面をつけた人々が踊るのです。この諸鈍シバヤは平資盛が土地の人を招いて上演したのが始まりといい伝えられています。
 毎年旧暦9月9日に大屯神社で演じられる諸鈍シバヤは女役もすべて男性が演じ、紙面(かみつら)をつけるそうです。踊りには本土や琉球の影響が見られるそうです。
 平資盛の一行は喜界島を経て1205年、諸鈍に居城を築き、薄幸な一生を送ったと伝えられているそうです。また一説では保元の乱で敗れた源為朝は八丈島から加計呂麻島に渡り、島の娘との間で実久三次郎という子をもうけたともいわれています。
 シバヤは拍子木を先頭に、三味線(さみせん)、鐘、大鼓、ホラ貝、指笛(はと)に囃され、掛け声勇ましく手振り足拍子を合わせながら楽屋入りから始まって数々の踊りが演出されるそうです。
 その中でも獅子退治(ししりき)美女(たまてぃゆ)と大蛇が出る人形芝居は見物人を引きつけ人々の心をゆさぶる芝居であったそうです。
 古来、交通の要所であった諸鈍に、琉球や大和からの文化が混じりあい、沖縄歌や指笛、外国にも本土にも通じるメロディや囃子などが混ざって、多彩な諸鈍シバヤができたようです。
 
  諸鈍長浜
諸鈍(しゅど)ぬ長浜に 
打上(うちや)ぐぃ   引く波や
諸鈍みやらぶぃ(娘)ぬ 笑い歯ぐき


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