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鹿児島の旅と歴史
鹿児島の旅        霧島市

霧島神宮
きりしまじんぐう
鹿児島県霧島市霧島田口2608ー5
Tel 0995-57-0001


 霧島神宮は、平成元年(1989)5月19日、国の重要文化財に指定されています。霧島神宮は、天孫降臨 迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀る神社です。
 天照大神は、孫であるニニギノミコトに、高天原から降りてこの国を治めよと命令しました。
 ニニギノミコトは3種の神器を譲り受け7人のお供の神と一人の道案内(猿田彦命)の神と共に高千穂の峰に降りたのでした。これが天孫降臨の神話の由来です。
 高さ23mの大鳥居をくぐり、杉木立の参道を上ると、絢爛たる朱塗りで入母屋造の社殿と拝殿が荘厳と立っています。ともに重要文化財に指定されています。
 本殿には、ニニギノミコト以下七柱をお祀りしてあります。本殿、拝殿はもとより登廊下、勅使殿等、その配置が素晴らしく宏大で壮麗な美しさです。
 第29代欽明天皇の御代(約1460年)慶胤という僧が、高千穂峯と火常峯(現御鉢)との中間の背門丘(せおと)に、社殿を建てたのが始まりであるといわれます。
 鎌倉時代になって、霧島山の大噴火があり、社殿を焼失してしまいました。その後、社殿を山の東にあたる長尾山に移したそうです。
 文明16年(1484)、島津忠昌は、この社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座、この社が現在、宮崎県西諸県郡高原町の霧島東神社です。
 西社は、大隅国姶良郡田ロに建てられました。これが、現在の霧島神宮なのです。
 その後、火事で全焼の災にあいました。正徳5年(1715)時の藩主島津吉貴の寄進によって再建されました。これが現在の社殿です。
 明治7年(1874)までは、霧島神社と称されていたそうです。また霧島西御在所六社権現とも呼ばれ、薩摩藩歴代の篤い尊崇と衆庶の崇敬を集めてきたのです。
 慶応2年(1866)、坂本龍馬と妻おりょうは薩摩を訪れています。霧島山の峰にある天の逆鉾を見ようと高千穂登山をしたそうです。そしてこの霧島神宮にも参拝しています。現在の新婚旅行の走りでした。


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