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佐賀の旅と歴史
佐賀の旅        唐津市

唐津城跡
からつじょうせき
佐賀県唐津市東城内
Tel 0955-72-5697


 唐津城は、文禄2(1593)に、初代唐津藩主寺沢志摩守広高が、松浦川河口の満頭山に唐津城を築き、城下町を開いたことに始まります。
 広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたといわれています。朝鮮出兵の本拠地であった名護屋城の後詰の城として急遽築かせたようです。
 天草も支配していた2代藩主寺沢堅高は、寛永14年(1637)の天草島原の乱の責任を問われ天草富岡城4万石を没収されました。正保4年(1647)堅高が自殺したため、寺沢氏は2代で断絶し、幕府の直轄地となりました。
 慶安2年(1649)播磨明石より大久保忠職が8万3千石で入封しました。その後、大久保氏2代、松平氏3代、土井氏4代続きました。その後、宝暦12年(1762)三河岡崎より水野忠任が6万石で入封しました。
 文化14年(1817)、水野氏4代忠邦が遠江浜松に転封となると、替わって陸奥棚倉から小笠原長昌が6万石で入り、以後、小笠原氏が5代続いて明治を迎えました。
 明治4(1871)、廃藩置県とともに、廃城となり取り壊されました。昭和41年(1966)旧天守台跡に5層5階、地下1階の美しい天守閣が建てられました。


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