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佐賀の旅と歴史
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名護屋城跡
なごやじょうせき
佐賀県唐津市大字名護屋
Tel 0955-82-4905


 名護屋城は、全国平定をなしとげた豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国へ向けて出兵(文禄、慶長の役)するため、その本拠地として築かせた城です。
 もと名護屋氏代々の居城があった垣添山の要害を拡張し、加藤清正の縄張で天正19年(1591)に着工し、翌文禄元年(1591)に完成させたそうです。
 名護屋城は当時の城郭では大坂城に次ぐ広大なもので、本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などを配し、本丸北西隅に5重7階の天守が築かれました。
 慶長3年(1598)、秀吉の死によって全軍撤収し名護屋城もその役割を終えました。廃城となり資材などは唐津城に用いられたそうです。
 寛永14年(1637)、島原の乱が起きました。徳川幕府は一揆が名護屋城に籠るのを危惧し、石垣の要所を破壊したり、井戸を埋め廃墟になりました。


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