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北海道・渡島(おしま)    函館市

五稜郭公園
ごりょうかくこうえん
北海道函館市五稜郭町44
Tel 0138-21-3431


 五稜郭は蘭学者武田斐三郎の設計のもと安政4年(1857)着工し、元治元年(1864)に完成した洋式の城郭です。時の箱館奉行が蝦夷地を統治する目的で造られました。
 五稜郭の特徴は5つの突角をもつ星型である事と、日本最後の本格的な城郭であることです。北辺防備のために築城されたものが、皮肉にも榎本武揚や新政府軍の日本人同士の戦いの場となってしまいました。
 榎本武揚は、勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城が気に入らなかった幕臣を幕府の軍艦に乗せて、函館に乗り込み、五稜郭を占拠して徹底交戦に備えたのです。
 そして武揚は明治元年(1868)12月、箱館の五稜郭に新政府を作ったのです。そしてその蝦夷共和国の総裁や閣僚を「入れ札」、つまり選挙で選んだのでした
 総裁選挙の結果は、榎本武揚が115票でトップ、次点は松平太郎で14票だったそうです。その時点で「新共和国」が誕生したのです。
 榎本武揚は幼少時代から西洋の技術知識を教えられていました。箱館奉行所に出仕し、樺太探検に参加。海軍伝習所入所、オランダ留学を経て慶應4年(1868)江戸幕府の海軍副総裁に任ぜられていました。
 戊辰戦争にあたり、新政府軍が江戸を占領すると、幕府艦隊を率いて箱館の五稜郭を占拠したのでした。明治2年(1869)榎本らは戦いに敗れ、新政府軍に降伏しました。建物も明治5年(1872)に取り壊されました。現在、その五稜郭跡は公園として整備されています。
 榎本は黒田清隆の好意により助命され入獄。明治5年(1872)罪を許され、内閣制度の成立後は6度の入閣で逓信大臣、外務大臣、文部大臣、農商務大臣を務めました。



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