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北海道・渡島(おしま)
函館市
石川啄木一族の墓
いしかわたくぼくいちぞくのはか
北海道函館市住吉町16
石川啄木は明治40年(1907)5月から9月までの短い期間、函館公園の北側にある青柳町で暮らしました。離散していた家族を呼び寄せ、文芸結社の苜蓿社の同人らの温かい友情に支えられ啄木にとって想い出の場所でした。
明治45年(1912)4月に27歳という短い生涯を東京で終えた啄木の遺骨は、節子夫人の希望で大正2年(1913)、函館に移されました。大正5年に啄木の愛した立待岬に義弟・宮崎郁雨の手で墓碑が建てられたのでした。
東海の 小島の磯の 白砂に
われ泣きぬれて 蟹とたわむる
啄木が散策した大森海岸を見渡すことができる墓には一握の砂の一首が彫り込まれていました。
啄木の墓の隣には、啄木を物心両面で支えた義弟の宮崎郁雨の墓があります。
蹣跚まんさんと 夜道をたどる淋しさよ
酒はひとりし 飲むものならず
石川啄木と宮崎郁雨に心酔し、大正10年(1921)、20歳で青函連絡船から身を投じ自殺した地元の歌人、砂山影二の碑です。
わがいのち この海峡の波の間に
消ゆる日を想ふ 岬に立ちて
砂山影二の碑
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