あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置

北海道・宗谷の旅    稚内市

宗谷岬平和公園
そうやみさきへいわこうえん
北海道稚内市宗谷村宗谷岬


 サハリンを望む宗谷岬の小高い丘に宗谷岬平和公園があります。ここには旧海軍望楼、祈りの塔、ラ・ペルーズ顕彰記念碑、平和の碑、宗谷海域海軍戦没者慰霊碑、世界平和の鐘、子育て平和の鐘、あけぼの像、宮沢賢治文学碑などがあります。
 「祈りの塔」は高さ約20mのひときわ目立つ折鶴のような形塔です。大韓航空機撃墜事件、2周忌に、遭難者の慰霊と世界の平和を願って建てられた塔です。
祈りの塔
  大韓航空機撃墜事件は昭和58年(1983)9月1日に起きました。アラスカ発ソウル行きの大韓航空旅客機がソ連領を侵犯したとして、ソ連機によって撃墜され、乗員・乗客269名全員が死亡した事件です。28人の日本人も犠牲になりました。鶴のくちばしの先は、事故があったモネロン島の方角を指しています。台座の16段の羽は被害にあった人たちの国の数、張られた石の数は被害者数の269個です。
祈りの塔

 「ラ・ペルーズ顕彰記念碑」は平成19年(2007)に造られました。ラ・ペルーズはフランス海軍の軍人でルイ16世の命令により、天明5年(1785)太平洋方面の探検を行いました。
ラ・ペルーズ顕彰記念碑
 天明7年(1787)、北海道と樺太を分ける海峡があることを発見しました。欧州人として宗谷海峡(ラ・ペルーズ海峡ともいわれます)を通った初めての人物なのです。記念碑は発見後220年を記念して建てられたものです。
ラ・ペルーズ顕彰記念碑
 平成7年(1995)に「平和の塔」が日米合同で建てられました。日本とアメリカ合同での慰霊碑を建立は、わが国では初めてのことです。
平和の碑
 昭和18年(1943)宗谷海峡において日本海軍とアメリカ海軍との間で戦いが繰り広げられました。アメリカ海軍潜水艦「ワフー号」によって日本商船5隻の犠牲者は690名。日本海軍はワフー号を攻撃、撃沈させました。アメリカ側の犠牲者80名がともに慰霊されています。
平和の碑
 「宗谷海域海軍戦没者慰霊碑」は、昭和55年(1980)に建てられました。終戦直後に魚雷攻撃を受けた稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため、身代わりとなって爆沈した望楼防備隊の「第12号海防艦」152名の乗組員の霊を慰めるものです。
宗谷海域海軍戦没者慰霊碑
 男女のブロンズ像「あけぼの像」は、北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、昭和46年(1971)建てられました。
あけぼの像



北北海道トップページへ

北海道の旅と歴史へ  旅と歴史トップページへ



直線上に配置

inserted by FC2 system