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千葉の旅と歴史
千葉の旅      成田市

成田山新勝寺
なりたさんしんしょうじ
千葉県成田市成田1
Tel 0476-22-2111


 成田山新勝寺は、京都広沢遍照寺の寛朝大僧正によって、平安時代の天慶3年(940)に開創されました。千年以上にわたり、真言宗智山派の大本山として、また「成田のお不動様」として広く人々に親しまれています。
 天慶2年(939)平将門が乱をおこすと、時の帝・朱雀天皇は朝敵降伏の密勅を寛朝大僧正にくだしました。京都高雄山の不動明王尊像と宝剣を持って平定させました。下総国公津ケ原に尊像を奉じ安置していたのですが、大任を果たした大僧正が尊像を奉じて京都に帰ろうとした時動きませんでした。
 合掌し祈りますと、「我が願いは、尽きることなし。永くこの地に留まりで、無辺の衆生を利益せん」との声を授かりました。天皇に奏上したところ、深く感動され、お堂を建てさせました。新たに勝った因縁にちなんで「新勝寺」の寺号を授与したのでした。

仁王門
 成田山の正面の門をくぐって最初に見上げる建物が仁王門です。門の左右に金剛力士が配され、境内を守る伽藍守護の役割を果たしています。文政13年(1830)に建立されていて、国の重要文化財に指定されています。
 仁王門の中の向かって左側の密迹(みっしゃく)金剛です。裏仏には「広目天」、「多聞天」が奉安され、境内入口にあって伽藍守護の役目を果たしています。
 向かって左側の那羅延(ならえん)金剛です。仁王門中央には成田山の大提灯が掲げられています。「仁王門」を抜けると「仁王池」があり、その上に本堂などのいくつもの伽藍があります。

三重塔
 正徳2年(1712)に建立されました。宝暦7年(1757)、享和元年(1801)、安政5年(1858)に大修理が行われています。昭和58年(1983)に現在の姿に復元されています。塔の高さは相輪まで25mあります。国の重要文化財に指定されています。
 塔内には金剛界大日如来の「五つの智慧」をあらわす五智如来を奉安し、周囲に「十六羅漢(らかん)」の彫刻がめぐらされた塔です。雲水紋の彫刻をほどこした各層の垂木(たるき)は一枚板でつくられた珍しいものです。

大本堂
 石段を登り切った正面に大本堂があります。左右に翼殿を持つ重層入母屋造り大本堂の雄姿が視界に入ってきます。
 ここには弘法大師が彫ったという本尊の不動明王と四大明王が祀られています。参拝客は年間1200万以上といわれていて初詣客は全国でベスト5に入ります。
 この大本堂は昭和43年(1968)に建立されました。成田山で最も重要なお護摩ご祈祷を行う道場です。内陣は畳296枚分もあります。内陣中央に焚かれている護摩の香煙は1日も絶えたことがありません。

西翼殿
 西翼殿は大本堂の左側に建っています。御護摩御祈祷札お渡し所です。

東翼殿
 東翼殿は大本堂の右側に建っています。西翼殿と同じように御護摩札やお守りなどを取り扱い、受け渡し所になっている。

鐘楼
 元禄14年(1701)成田山中興の第一世の照範上人によって建立されました。梵鐘は新大本堂建立の際鋳造されました。
 成田山不動明王に信仰のあつい初代市川団十郎が「成田屋」の屋号を名乗り不動明王を主題とする歌舞伎を上演しました。団十郎との仏縁が評判となり、江戸中に成田山の名が知れわたったそうです。

一切経蔵
 一切経蔵は一切経全巻を納めた巨大な八角形の回転式経蔵です。その基部に10匹の鬼神がいます。
 台を回せば一切経全巻を唱えたのと同じ功徳があるそうです。現在は保護のため回せませんが、願いごとを唱えながら3回まわすと願いごとがかなうといわれています。
 入口の扁額「一切経蔵」は白河楽翁公つまり松平定信の筆です。

聖徳太子堂
 平成4年(1992)建立されました。仏教興隆の祖として崇められる聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の理念に基づいています。

釈迦堂
 前の本堂であった釈迦堂です。安政5年(1858)に建立されています。本尊は釈迦如来で文殊菩薩、普賢菩薩、千手観世音菩薩、弥勒(みろく)菩薩が奉安されています。
 総ケヤキ造りの御堂で周囲の板壁には、五百羅漢などの江戸時代末期の特色ある彫刻が見事に彫られています。国の重要文化財に指定されています。

額堂
 信徒から奉納された額や絵馬を懸ける建物で、文久元年(1861)に建立されています。中央に7代目市川団十郎の石像があります。
 昔使われていた梵鐘が置かれていたり、青銅製の大地球儀があります。

 奉納された額は奧の「平和の大塔」の1階にある霊光殿に展示されています。

開山堂
 開山堂は開山寛朝大僧正の像を安置しているお堂です。堂内には歴代先師の御影 が掲げられています。
 成田山開基1000年記念事業として昭和13年(1938)建立された総桧作りのお堂です。

三社
 左から白山明神、金比羅大権現、今宮神社の三社を祀っています。

光明堂
 釈迦堂が本堂になる前の本堂であった総ケヤキ造りの建物です。元禄14年(1701)に建立された貴重な建物です。国の重要文化財に指定されています。
 本尊は真言密教の教主の大日如来です。周囲の壁は朱漆が塗られ鮮やかです。入母屋(いりもや)造りの江戸時代中期の建物です。
 安政年間の移築の際に回り縁と外陣部の床を撤去して吹放しの土間としたので珍しい形になっています。現在は開運厄除けお祓いの祈祷所になっています。

清瀧権現堂
  清瀧権現堂と妙見宮です。享保17年(1732)に建立されています。
 天明8年(1788)、安政5年(1858)に修理されています。清瀧権現と地主妙見を合祀した成田山の鎮守です。

平和大塔
 昭和59年(1984)に弘法大師1150忌を記念して建立された仏塔です。高さは58m、二重基壇(きだん)、内部五層という巨大なものです。
 一層が「霊光堂」、二層が「明王堂」、三層が「経蔵堂」、四層が「法蔵堂」、五層が「金剛堂」となっています。真言密教の教えの根本である相互礼拝、相互供養の曼陀羅(まんだら)世界を表しています。
 金剛殿には、大日如来、阿しゅく如来、宝生(ほうしょう)如来、阿弥陀如来、不空成就(ふくうじょうじゅ)如来の五智(ごち)如来が安置されています。ここには写経道場も併設されています。
 不動明王御真言
ノウマクサンマンダバザラダンゼンダ
マカロシャダソワタヤウンタラタカンマン

成田山公園
 成田山公園は鬱蒼と樹木が茂る公園で、成田山の大本堂裏にあります。16万5千平方mという広い公園で昭和3年(1928)に開園されています。
 公園内には遊歩道があり散策をすることができます。園内中央にある一の池、二の池、三の池の3つの池の周囲は、春はウメにサクラ、初夏の新緑、秋の紅葉と四季折々の表情を見せてくれます。
 園内には成田山書道美術館が、公園に隣接して成田山霊光館、成田山仏教図書館があります。

成田山書道美術館
なりたさんしょどうびじゅつかん
 書の総合美術館として成田山公園内、龍智の池のほとりに建つ書道美術館です。幕末から現代までの書が収蔵品の中心ですが、折に触れ、絵画や工芸品も交えて展示活動を行っています。
 ここには 中国山東省の石刻碑の拓本「紀泰山銘」があります。玄宗皇帝が中国五岳の一つ泰山を封ずる時に書いたもので、字数は1000字にもなるものです。

二宮尊徳開眼修行の地
 尊徳は天明7年(1787)、現在の小田原市栢山(かやま)で生を受け、金治郎と名づけられました。小田原藩家老、服部十郎兵衛の屋敷に住み込み努力により信用され財政再建に成功しました。弱冠35才で、藩主・大久保忠真公に見込まれ文政4年(1821)野州桜町(栃木県二宮町)復興の命を受けました。
 当時の桜町は、小田原藩主大久保家の分家で旗本の宇津家の所領でした。石高4000石といっても 実質は1000石にも満たない弱小藩でした。人心は荒廃して、田畑は荒れていました。尊徳は心血をそそいで桜町の再建に尽くしました。
 百姓出身の尊徳の改革を快く思わない人々の妨害などで43才の時、成田山で21日間にわたる命がけの断食修行を行ないました。そして遂に開眼するのです。開眼後、その誠意ある努力は次第に実を結び、桜町は実収3000石を超える豊かな村に生まれ変わったのでした。


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