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群馬の旅と歴史
群馬の旅      太田市

大光院
だいこういん
群馬県太田市金山町37−8
Tel 0276-22-2007


 大光院は金山南麓にある浄土宗の寺院で、正式には義重山新田寺大光院といいます。俗に呑竜さまといわれ、安産、育児の願かけに大勢の女性たちが集まります。
 慶長18年(1613)徳川家康が先祖である新田義重の菩提を弔うために建立した寺だそうです。
 初代住職に迎えられた呑龍(どんりゅう)上人は芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた名僧です。
 上人は、弘治2年(1556)4月、武蔵国埼玉郡一の割村(埼玉県春日部市)に生まれ、元和9年(1623)8月9日、大光院で入寂したそうです。
 呑龍は当時、多くの子供が間引かれて殺されていた事を憂い、これらの子供を弟子として引き取って養育したのです。このことから子育て呑龍という名で慕われたのです。
 大光院本堂は慶長18年(1613)開創以来の建築です。大正14年(1925)に大改修されました。中央須弥壇上に安阿弥快慶が作製した本尊阿弥陀仏を安置しています。
本堂
 脇壇には新田芳重、徳川家康、秀忠、家光、歴代上人の像を祀っています。正面新田寺の大額は尊超法親王の御染筆です。
本堂
 東菊花大会の開催地としてもよく知られていて、毎年10月25日から11月25日には、見事な菊の花を鑑賞できます。七五三、初詣、節分会、山野草展、さつき祭りなど年間を通じて賑わっています。

 雄大にして優美な黒松は呑龍上人お手植えの松と伝えられています。樹齢は約700年といわれ、あたかも巨竜が地に伏し今まさに昇天しようとしているように見えることから臥龍の松と呼ばれています
臥龍の松

 大光院の梵鐘は明治42年(1909)に鋳造されましたが太平洋戦争で供出されたままになっていました。昭和31年(1956)呑龍上人生誕400年を記念して68世、大誉霊海しの発願によって再鋳造されたものです。昭和33年10月に完成落慶をみたもので慈愛の鐘と呼ばれています。
慈愛の鐘
 大光院大光院開山堂は、13間4面鉄筋コンクリート造りの桃山風の建築です。
開山堂
 昭和8年(1933)67世実誉上人と時に落成されました。正面壇上に開基ご自作の尊像を安置しています。
開山堂
 上州太田七福神の一つ、大光院弁財天があります。上州太田七福神めぐりののぼりが立っていました。
大光院弁財天
 本堂の後ろに新田(源)義重の墓があります。義重は、新田氏の祖といわれる人物です。武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎義家の孫にあたります。
新田義重の墓
 呑龍上人御廟です。
上人が亡くなったあと遺骸を荼毘にふすことなく東面し堂の西霊廟の傍らに葬られたそうです。
呑龍上人御廟


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