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群馬の旅と歴史
群馬の旅      佐波郡玉村町

玉村八幡宮
たまむらはちまんぐう
群馬県佐波郡(さわぐん)玉村町下新田
Tel 0270-65-2305


 玉村八幡宮は、玉村町下新田に鎮座します。祭神は、誉田別命(応神天皇)、気長足比売命(神功皇后)ほか16柱を合祀しています。
 源頼朝が三原(吾妻郡嬬恋村)へ行く途中で角淵(つのぶち)に立ち寄ったところ烏川が由比ヶ浜によく似ていたため建久6年(1195)上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡八幡宮の分霊を勧請奉安させたそうです。
 のち、関東郡代伊奈忠次が前橋の総社まで引かれていた天狗岩用水をはるばる玉村まで延長する新田開発にあたり事業の加護を神前に祈りました。そして無事事業の完了させました。
 慶長15年(1610)神助の報賽と新田の守護として上新田、下新田境の現在地に移築修造しました。これが現在、国指定重要文化財に指定されている本殿です。
 玉村八幡宮はその後、関東管領畠山満家、白井城主長尾左衛門尉憲景などの尽力で再建修造しています。
 境内には御神木の楠木の大木があります。夫婦楠木と呼ばれています。
夫婦楠木
 祭神の誉田別命(ほんだわけのみこと)は宇佐八幡を本源としています。武神として武士に崇放され、特に源義家以来、源氏の氏神とされていました。
 境内には力石があります。玉遊と刻まれたこの力石は重さが48貫(180kg)あるそうです。弘化4年(1847)武蔵国神奈川の徳次郎と同じ岩槻の長次郎が世話人たちの前で見事にこの石を担ぎ上げたと刻まれています。
力石

 本殿は永正4年(1507)に造営され、慶長15年(1610)の修造と伝えられています。室町様式と江戸初期様式とを併せ持つ建造物として、明治41年(1908)国の重要文化財に指定されています。
玉村八幡宮本殿
 本殿は三間社流造(ながれづくり)高欄付柿(こけら)板葺です。海老虹梁(こうりょう)および木鼻、柱を結合している頭貫(ぬき)、蟇股(かえるまた)などには、安土桃山時代の作品と考えられる部分が多いそうです。
玉村八幡宮本殿
 本殿は、拝殿と連結して権現造(ごんげんづくり)のような外観を呈しています。寛文7年(1667)以後の修理の時に、流行の様式を取り入れたと推察されます。
玉村八幡宮本殿

 境内には承応の石燈篭があります。この一対の石燈篭は承応元年(1652)に、上茂木の田口所左衛門廣次が奉納したものだそうです。高さ195cmで玉村町ではもっとも古い燈篭だそうです。
承応元年の石燈篭
  町文化財に指定されている竹内勇水の句碑があります。

 啼きすてて 
  思いなげなる雉かな
竹内勇水句碑
 竹内勇水は、下新田出身の、江戸時代中期から後期にかけての俳人で、代々宿役人を務めた役だったそうです。弟子も多く、この地方を代表する俳人で、書も巧みだったということです。


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