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東京の旅と歴史
東京の旅          文京区

根津神社
ねづじんじゃ
東京都文京区根津1−28−9
Tel 03-3822-0753


 根津神社は、1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したといわれている古社で、「根津権現」とも呼ばれていました。東京十社に入っており、明治時代には准勅際社・府社に列格していました。本殿、幣殿、拝殿、唐門、楼門、西門、透塀が国の重要文化財に指定されています。
 文明年間(1469-1487)に太田道灌により社殿が造営されました。現在の根津神社の地は、江戸時代には5代将軍綱吉の兄である甲府中納言・松平綱重の山手屋敷(別邸)で、6代将軍綱豊(家宣)が生まれたところでした。
 宝永2年(1705)、将軍綱吉は養嗣子にした家宣のための産土神として根津神社に屋敷地を献納しました。翌年、千駄木にあった根津神社をこの地に移し、社領500石を与え、拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなる権現造りのり立派な社殿を造営しました。
 拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいます。唐門前方の楼門を含め、権現造り神社の建築様式の本来の形を踏襲しています。境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石が近辺に住んでいたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されています。

 根津神社の本殿は桁行3間、梁間3間、1重、入母屋造り、銅瓦葺きです。幣殿は桁行4間、梁間1間、1重、両下造り、銅瓦葺きです。拝殿は桁行正面7間、背面9間、梁間3間、1重、入母屋造り、正面千鳥破風付、向拝3間、軒唐破風付、銅瓦葺きです。内部の長押には、森村宣永画伯奉納の三十六歌仙画が掛かっています。
根津神社本殿・幣殿・拝殿
 根津神社の本殿、幣殿、拝殿は宝永3年(1706)に建立され、昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。昭和20年、米軍の東京空襲により本殿に焼夷弾が命中して炎上、幣殿、拝殿も延焼しました。昭和25年(1950)から12年を費やして大修理して昔と変わらない荘厳な姿を見せています。
根津神社本殿・幣殿・拝殿
 根津神社の中門は神社の正門にあたります。宝永3年(1706)に建立された唐門です。1間1戸平唐門で、銅瓦葺きです。両妻に唐破風を備えています。天井には、藤原立信の墨江の龍が画かれていたそうです。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。
根津神社中門
 根津神社の楼門は宝永3年(1706)に建立されています。3間1戸楼門、入母屋造り、桟瓦葺きです。左右に随身が安置されていま。右側の随身は水戸光圀がモデルと伝えられています。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。
根津神社楼門
 根津神社の西門は宝永3年(1706)に建立されています。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。透塀と調和しています。
根津神社西門
 拝殿前に一対ある青銅灯篭は伊勢国津藩の第5代藩主・藤堂和泉守高敏が奉納したものです。鋳物御大工 椎名伊豫藤原重休の銘が残されています。昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。そばには大正元年(1912)に建立された狛犬があります。
青銅灯篭
 透塀とは社殿周囲を囲んでいる塀で、格子部より向こう側が見えることからこのように呼ばれます。総延長200mもあります。唐門東方は34間、唐門西門間21間、西門北方は長53間あり、銅瓦葺きです。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。
根津神社透塀


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