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愛媛の旅と歴史
愛媛の旅        松山市

石手寺
いしてじ
愛媛県松山市石手2−9−21
Tel 089-977-0870


 石手寺は真言宗豊山派の古刹です。神亀5年(728)、夢によってこの地を霊地と悟った伊予の大領であった越智玉澄(おちのたまずみ)によって創建されたそうです。四国八十八ヵ所の第51番札所でもあります。
 天平元年(729)に行基が薬師如来刻んで本尊として安置して安養寺として開基しました。宗派は法相宗でしたが、弘仁4年(813)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたそうです。
 寛平4年(892)、領主河野息利(おきとし)に男子が生まれたとき、衛門三郎が弘法大師から授かった小石を握っていたので、この石を寺に奉納し、寺名を石手寺に改称したといわれています。
 衛門三郎は、この地方の長者でとても強欲な人だったそうです。弘法大師とも知らずに、手にしていた鉢をたたき割ったそうです。鉢は砕けて八方に飛びちりました。その後、衛門三郎の8人の子が次々と亡くなったそうです。
 衛門三郎は改心して大師のあとを追いました。 四国巡礼21度目にやっと四国八十八ケ所第12番札所の「焼山寺」でやっと大師に巡り合いました。
 そして衛門三郎が力つきて亡くなる寸前に今までの罪を許されたのです。そのとき小さな石を手渡されたのでした。
 河野息利の赤ちゃんが右手に石を持って放さないので、安養寺に祈願に行ったら、やっと手のひらを開いたそうです。その石には衛門三郎と書かれていたのだそうです。
 石手寺は河野氏の庇護を受け平安時代から室町時代にわたり、7堂伽藍66坊を数える大寺院として栄えました。しかし、永禄9年(1566)、長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失ないました。
 本堂や仁王門、三重塔は奇跡的に焼失を免れました。本堂は本瓦葦きで、正面側面とも五間、単層入母屋造りの仏堂です。国重要文化財に指定されています。
 石手寺の山門(二王門)は国宝に指定されています。文保2年(1318)の建立です。雄壮な鎌倉時代の建築の特徴がよく表れています。金剛力士像は鎌倉時代の作で寺伝では運慶一門の作といわれています。


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