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香川の旅と歴史
香川の旅        高松市

高松城跡
たかまつじょうせき
香川県高松市玉藻町2ー1
Tel 087-851-1521


 高松城は大分県中津市の中津城、愛媛県今治市の今治城とともに日本三大水城に数え上げられています。高松港、琴電高松築港駅のすぐ隣にあります。月見櫓、艮(うしとら)櫓、水手(みずのて)御門、渡櫓が国の重要文化財に指定されています。
 別名玉藻城(たまもじょう)とも呼ばれ、この一帯は玉藻公園になっています。玉藻の由来は万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠みました。そしてこのあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことでつけられたようです。
 天正15年(1587)、生駒親正は豊臣秀吉から讃岐17万6千石を与えられ、国主として入府しました。天正16年(1588)から現在の場所に築城を着手しました。
 縄張りは、当時築城の名人であった黒田孝高(如水)だったそうです。数年後、瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだ水城が完成し、高松城と名付けられました。
 生駒氏時代の天守閣は、天守台に3層4階の天守閣でした。生駒氏の後に城主となった高松松平藩初代藩主・松平頼重が、寛文9年(1669)に3層5階の天守に改築したそうです。
 この天守は、南蛮造りと呼ばれる珍しい天守だったそうです。明治17年(1884)に腐朽がひどくなったため取り壊されてしまいました。
 生駒家は4代目・高俊の時に生駒騒動があり4代54年で改易になってしまいました。寛永19年(1642)、松平頼重が常陸下館5万石から入封したそうです。
 この松平頼重は水戸光圀の実の兄になる人だそうです。頼重以降、松平氏が11代228年間居城し明治を迎えました。


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