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青森の旅と歴史
青森の旅     八戸市

櫛引八幡宮
くしひきはちまんぐう
青森県八戸市八幡3
Tel 0178-27-3053


 南部家の祖とされる南部三郎光行は文治5年(1189)の文治の役の戦功で、陸奥の国糠部五郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)を賜りました。櫛引八幡宮は光行が家臣である津島平次郎を使わせて甲斐南部郷の八幡宮御神体を勧請したのが始まりです。建久3年(1192)十和田滝ノ沢に仮宮を営み甲斐国南部郷に祀ってあった八幡大明神を移したそうです。
 貞応元年(1222年)現在の櫛引村に移し、慶安元年(1648)社殿を完成させて、櫛引八幡宮と称しました。南部師行が社殿を再建した時以来、南部領一之宮として代々の祈願所として崇敬庇護されてきました。
 江戸時代に入り、本拠が盛岡城に移った後も、八戸藩のものにならず境内だけは盛岡藩の飛地として認められました。平成5年(1993)、本殿・旧拝殿など5棟が国の重要文化財に指定されました。
 本殿は慶安元年(1648)の造営と伝えられています。三間社流造り、銅板葺きの社殿で、壮大ながら彫刻や極彩色の文様など各所に優美さが認められます。屋根の流れの曲線は極めて美しいものです。国の重要文化財に指定されています。
櫛引八幡宮本殿
 長所、旧拝殿は以前は本殿の前にありました。今の拝殿を建築する時に門を入った左側に移築されました。舟肘木に一軒の疎垂木という簡素な造りで、桁行7間、梁間3間の入母屋造り平入銅板葺きです。国の重要文化財に指定されています。
櫛引八幡宮旧拝殿
 南門は、格式の高い形式とされる四脚門です。入母屋造り平入銅板葺きです。部材の木柄も太く、豪壮な感じです。国の重要文化財に指定されています。
櫛引八幡宮南門
 末社神明宮本殿は、櫛引八幡宮の境内に鎮座しています。元文4年(1739)に造られたとみられています。一間社流造りで、小規模ながら、構造形式はしっかりしています。国の重要文化財に指定されています。
櫛引八幡宮神明宮本殿
 末社春日社本殿は、神明宮と対称の位置に奉られている小さな社殿です。一間社流造りで、東北地方においては珍しい春日造本殿です。神明宮とともに国の重要文化財に指定されています。
櫛引八幡宮春日社本殿
 拝殿は旧拝殿を門を入った左側に移築して、旧拝殿の敷地に昭和59年(1984)11月に竣功されました。桁行15間、梁間8間の入母屋造ち平入銅板葺の社殿です。
櫛引八幡宮春日社拝殿
 国宝館には国宝の「赤糸威(あかいとおどし)鎧兜・大袖付」と「白糸威褄取(しろいとおどしつまとり)鎧兜・大袖付」のほか、いくつかの重要文化財が収蔵・展示されています。赤糸威鎧兜は鎌倉時代の金工芸術の最高品で、奈良県春日大社の「赤糸威鎧」と双璧をなすといわれています。
櫛引八幡宮国宝館
 明治記念館は八戸小学校講堂として明治14年(1882)に建てられました。明治天皇の東北御巡幸の際、行在所としても用いられました。昭和4年(1929)から八戸市図書館として使用され、昭和37年(1962)ここ櫛引八幡宮境内に移築されています。県内に現存する洋風建築では最古のものであり、県指定重宝です。
明治記念館


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