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福島の旅と歴史
福島の旅      福島市

福島市民家園
ふくしましみんかえん
福島県福島市上名倉字大石前地内
Tel 024-593-5249


 福島市民家園は福島県あづま総合運動公園の一角にあります。江戸時代中期から明治時代初期にかけて建築された民家などを移築、復元しています。芝居小屋の旧広瀬座などは国指定重要文化財です。
 約3万3千坪の広大な園内に旧馬場家住宅、旧菅野家住宅、旧奈良輪家住宅、旧渡辺家住宅、旧阿部家住宅、旧小野家住宅、旧筧家宿店、元客自軒、旧広瀬座など9軒の家屋が立ち並び、井戸やばったら小屋、板倉なども再現されています。

旧馬場家住宅
きゅうばばけじゅうたく
 旧馬場家住宅は福島市指定有形文化財で、南会津郡南郷村宮床字居平にあった上層農民の建物を移築復元しています。文化4年(1807)から翌年にかけて建てられた、「馬屋中門造り」民家です。
旧馬場家住宅
 「中門」とは鉤型(かぎがた)に突き出た部分で、先端が出入り口になっています。その中には馬屋や厠があり、人と馬が一緒に住んでいる感じです。
旧馬場家住宅
 旧馬場家住宅は桁行8間半、梁間は5間、木造、寄棟造り、平屋立建(一部中2階)、曲棟付で茅葺きです。面積は200.8平方mです。馬を大切にした農民の工夫からこのような家が造り出されたようです。
旧馬場家住宅

旧菅野家住宅
きゅうかんのけじゅうたく
 旧菅野家住宅は福島県指定重要文化財で、福島市松川町字熊ノ田にあった普通農民の建物を移築復元しています。「どま」の広さや正面を除く大壁造り、「ざしき」「なんど」の境の閉鎖形式など、県北地方の古い形式を継承しています。
旧菅野家住宅
 旧菅野家住宅は、木造、寄棟造り、平屋建てで茅葺きです。面積は84.94平方mでそれほど大きくはありません。江戸時代の中頃(1700年代半ば)に建てられたと推定されています。
旧菅野家住宅

旧奈良輪家住宅
きゅうならわけじゅうたく
 旧奈良輪家住宅は福島県指定重要文化財で、福島市山田字城裏口にあった上層農民(村役層)の建物を移築復元しています。「にわ(土間)」が非常に広く、奥には一部屋の「ざしき」があるのがこの住居の特色です。また側面と背面は厚い土塗りの大壁で造られています。
旧奈良輪家住宅
 旧奈良輪家住宅は木造、寄棟造り、平屋建てで茅葺きです。面積は165.9平方mで旧菅野家住宅の倍の大きさです。旧菅野家住宅より少し古く、江戸時代の中頃(1700年代半ば)に建てられたと推定されています。
旧奈良輪家住宅

旧渡辺家住宅
きゅうわたなべけじゅうたく
 旧渡辺家住宅は福島市指定有形文化財で、福島市上名倉字吉内にあった上層農民の建物を移築復元しています。幕末には庄屋であったといわれています。「とおりのま」とよばれる通路があり、「なんど」にある「とこ」、「どま」の前の軒下吹き放し部分があります。
旧渡辺家住宅
 旧渡辺家住宅は木造、寄棟造り、平屋建てで茅葺きです。面積は175.80平方mで旧奈良輪家住宅より少し大きめです。江戸時代の後期(1800年代初期)に建てられたと推定されています。
旧渡辺家住宅

旧阿部家住宅
きゅうあべけじゅうたく
 旧阿部家住宅は福島市指定有形文化財で、福島市大笹生字安養寺にあった普通農民の建物を移築復元しています。「なかのま」といわれる日常生活の中心の場が、床板を張らない「土座」であることが特色です。軒も低く、南側を除く三面は厚い土壁で覆われた大壁造りになっています。
旧阿部家住宅
 旧阿部家住宅は木造、寄棟造り、平屋建てで茅葺きです。面積は68.91平方mで県北地方の普通農民住居の平均よりやや小さい建物です。旧菅野家住宅より20年から30年新しく、江戸時代の中頃(1700年代半ば)に建てられたと推定されています。
旧阿部家住宅

旧筧家宿店
きゅうかけいけやどてん
 旧筧家宿店は福島市指定有形文化財で、旧会津街道と米沢街道の分岐点の福島市上鳥渡字観音寺にあった商人宿の建物を移築復元しています。明治から大正中頃まで宿として営業し、2階の座敷を宿泊に利用していたと思われます。
旧筧家宿店
 旧筧家宿店は木造、寄棟造り、中二階建てで茅葺きです。面積は109.64平方mで江戸末期から明治10年代(1800年代後半)に建てられたと推定されています。1階の「みせ」部分のしとみ戸、2階外壁の漆喰による「商人宿」の文字、襖絵などに宿店としての特色がみられます。
旧筧家宿店

元客自軒(旧紅葉館)
もとかくじけん(きゅうこうようかん)
 元客自軒(旧紅葉館)は福島市指定有形文化財で、福島市北町にあった割烹旅館の建物を移築復元しています。建築部材はすべて細かく、当時の町家造の手法に近く、略式化した数寄屋造りの手法がみられます。移築の時に、江戸後期頃の「客自軒」の原形に復したそうです。
元客自軒(旧紅葉館)
 元客自軒の旧東棟は桁行14.49m、梁間5.44m、木造、切妻造り、平屋建て、杉木羽葺きです。旧北棟は桁行12.43m、梁間5.83m、木造、寄棟造り、2階建て、杉木羽葺きです。面積は旧東棟が75.07平方m、旧北棟が144.94平方mあります。
元客自軒(旧紅葉館)
 客自軒は、幕末から明治初期にかけて福島では有数の割烹旅館でした。慶応4年(1868)、北南町の金沢屋に投宿していた奥羽征討軍の下参謀世良修蔵(せらしゅうぞう)を、仙台藩士が襲撃し、金沢屋の北側にあったこの客自軒に引き立てた後、阿武隈川畔で斬殺しました。悲惨な戊辰戦争の拡大につながった事件でした。
元客自軒(旧紅葉館)
 客自軒は明治中期に所有者が代わり「紅葉館」と改名されました。その後、割烹旅館から下宿業にかわり、昭和61年(1986)に解体されるまで利用されていました。
元客自軒(旧紅葉館)


旧広瀬座
きゅうひろせざ
福島県福島市上名倉字大石前地内(福島市民家園内)
Tel 024-593-5249 (福島市民家園)


 旧広瀬座は伊達郡梁川町の広瀬川川岸に建っていた芝居小屋でした。河川改修を機に、広瀬座組合より福島市に寄贈され、解体後、福島市民家園へ移築して復元したものです。棟札には、明治20年(1887)3月棟上とあります。
旧広瀬座
 建物は木造 一部2階建ての入母屋造り、杉木羽葺きです。1階の床面積は500.538平方m、2階の床面積は227.027平方mです。地下の54.08平方mを加えると延床面積は781.645平方mにもなります。
旧広瀬座
 主棟は桁行16間(29.2m)、梁間9間(16.6m)の木造 一部2階建ての入母屋造りで、杉木羽葺きです。平面積は約144坪(482平方m)です。
旧広瀬座
 そのうち、桁行11間半(21.8m)、梁間6間半(11.8m)の上屋の部分に舞台と中央平土間を収め、四方におろした下屋の部分に上下階3方の桟敷席、楽屋、入口ホールなどを配しています。
旧広瀬座
 舞台の中央に奥行4間弱の回り舞台があり、その床下には奈落(ならく)が造られています。芝居小屋独特の花道・ぶどう棚・ちょぼ席などもありますが、小屋組には明治中期の建築を反映して、梁の長い洋風な造り(真束小屋)が採用されています。
旧広瀬座
 旧広瀬座は明治の終わりから大正にかけて、芝居の間に映像を入れるようになり、昭和24年(1949)には映画館として改装されました。平成6年(1994)に芝居小屋の頃の状態に戻して復元され、平成10年(1998)に国の重要文化財に指定されました。
旧広瀬座


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