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福島の旅と歴史
福島の旅      喜多方市

新宮熊野神社
しんぐうくまのじんじゃ
福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
Tel 0241-23-0775(新宮熊野神社保存会)


 新宮熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を祀っています。永承6年(1051)、前九年合戦の時に源頼家、義家父子が紀州にある熊野権現に武運を祈願し、大勝利を収めました。、
 天喜3年(1055)、新宮熊野神社は熊野堂村(現会津若松市河東町)に勧請され、その後、「後三年の役」で会津を訪れた義家が応徳2年(1085)に現在地に遷座しました。
 その後、源頼朝や地頭であった新宮氏から崇敬され、社領が安堵され、寄進も多く繁栄しました。最盛期には300を越える末社が並び、100人にも及ぶ神職が在籍し奥州の熊野と呼ばれたそうです。

 「長床」と呼ばれる拝殿があり、高床になっています。長床は、平安時代の神殿造りの建物で、藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式を踏襲しています。
熊野神社長床
 拝殿とともに修験者が厳しい修行を行うための道場として使用されていたとみられ、直径1尺5寸(約45センチ)の円柱が44本が10尺(303センチ)等間隔に5列並んでいて、全部吹き抜けになっています。
熊野神社長床
 建築様式は和様で、桁行9間、梁間4間 寄棟造り、茅葺きです。身舎中央部の柱6本を省略し、前後に虹梁を架けて柱の無い空間を作り出しています。身舎(もや)中央部は柱を省略し、2間分を虹梁(こうりょう)でつないでいます。
熊野神社長床
 熊野神社の長床は、昭和38年(1963)に国の重要文化財に指定され、昭和46年(1971)から4年の歳月と約1億4000万円をかけて復元されています。
熊野神社長床

 拝殿奥の石段を登ると玉垣をめぐらして本殿3殿が並立し、東を向いて建っています。中央が本社の新宮証誠殿です。1間社、奥行き2間、妻入り、向拝付き、熊野造りです。室町以降に建てられたとみられ、福島県の重要文化財に指定されています。
熊野神社本殿
 左側に鎮座しているのは末社那智山飛龍権現です。1間社、奥行き2間、妻入、向拝付、熊野造りです。新宮証誠殿と同様で室町時代以降に建てられたとみられ、福島県の重要文化財に指定されています。
熊野神社本殿
 右側には末社本宮十二社権現が建てられています。新宮証誠殿、那智山飛龍権現と同様で1間社、奥行き2間、妻入、向拝付、熊野造りで室町時代以降に建てられたとみられ、福島県の重要文化財に指定されています。
熊野神社本殿

 長い歴史を持つ新宮熊野神社の宝物殿には銅鉢をはじめ、多くの国、県指定文化財が保存されています。銅鉢は神仏に米飯を供える食器で、修験道では洗米や賽銭受けに使用されていたそうです。暦応4年(1341)の奉納銘がある銅鉢は、高さ28cm、口径62.5cmの鉢で、。昭和34年(1959)に国の重要文化財に指定されています。
熊野神社宝物殿

 新宮熊野神社の銅鐘は高さ128.9cm、口径79.cmで乳部に蓮華、下おびに唐草模様が刻まれています。貞和5年(1349)の銘があり福島県では最も古い銅鐘で福島県の重要文化財に指定されています。
熊野神社銅鐘

 新宮熊野神社の文殊堂は元禄12年(1699)に再建された建物です。内陣には高さ2.64m木造文殊菩薩騎獅像を安置していました。像は平安末期から鎌倉初期の作で福島県の重要文化財に指定されています。
熊野神社文殊堂

 新宮熊野神社の大イチョウは喜多方市指定天然記念物です。目通り7.8mで、喜多方市内では最大のイチョウです。神社創建時の植えられたといわれ、主幹が折れる前までは遠く会津若松市からも見ることができたといわれています。
熊野神社大イチョウ


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