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宮城の旅と歴史
宮城の旅    仙台市

大崎八幡宮
おおさきはちまんぐう
宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6ー1
Tel 022-234-3606


 大崎八幡宮は坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府の胆沢城に勧請し鎮守府八幡宮と称したのが始まりとされます。室町時代に入り奥州管領であった大崎氏が遠田郡田尻町に遷座したことから大崎八幡宮と呼ばれるようになったそうです。
 大崎氏の滅亡後は伊達政宗が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後の慶長12年(1607)仙台城の乾(北西)の方角になる現在の地に伊達家古来からの成島八幡宮と合祀して遷座しました。
 乾の方角は、福門(天門)と呼ばれ、蔵や、福神様を祀ると、縁起が良いといわれる方角でした。社殿の造営は政宗の命により慶長9年(1604)から造営され、慶長14年頃完成したとみられています。
 豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当代随一の巨匠、棟梁を招聘し、その手で造られた社殿は豪壮にして華麗な桃山建築に仕上げられました。
 国宝の社殿は瑞巌寺方丈や青葉城大広間などと同時期の慶長12年(1607)から3年を費やして造営したもので、本殿と拝殿の間を石ノ間で継ぎ合せた権現造りです。
 大崎八幡宮は仙台総鎮守として大勢の人から厄除け・除災招福や必勝・安産の神として篤く尊崇されています。仙台における「卦体神」という十二支の神を信仰する習俗において乾(戌亥)の守護神とされています。戌歳・亥歳生まれの人々からは特に崇敬されているそうです。

 長床(ながとこ)は建築年は不明ですが貞享3年(1686)に描かれた絵図に書かれている事から、本殿などと同時期に建てられたと思われます。桁行9間、梁間3間、入母屋造りのこけら葺きで、中央入口の上に軒唐破風をつけています。中央に通り土間があり、その両側の室は板敷の床となっています。
大崎八幡宮長床
 長床は社殿とは対象的な建物で、素木造りで彫刻や組物なども控えめで落ち着いた雰囲気です。長床は修験道における拝殿を指しますが、この建物は中央が通路になっている「割拝殿」の形式で、本殿の華やかさに比べて落ち着いた様相を呈しています。長床としては宮城県最古の遺構で、国の重要文化財に指定されています。
大崎八幡宮長床

 国宝の大崎八幡宮の社殿は拝殿、石の間、本殿と繋がる権現造りの社殿です。本殿は桁行5間、梁間3間、1重、入母屋造り、こけら葺きです。石の間は東西方向5間、南北方向2間、1重、両下造り、こけら葺きです。拝殿は桁行正面7間、背面5間、梁間3間、1重、入母屋造りで正面に大きな千鳥破風がつき、5間向拝には軒唐破風がつけられ、こけら葺きになっています。
大崎八幡宮拝殿・本殿
  豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当世随一の巨匠を招き造営されました。外観は長押上に鮮やかな胡粉極彩色の組物(斗きょう)や彫刻物を施し、下は総黒漆塗りと落ち着いた風格です。組物や彫刻は極彩色や金箔などで仕上げられ桃山文化を継承しています。
大崎八幡宮拝殿・本殿

 寛文8年(1668)4代藩主伊達綱村によって寄進された鳥居です。旧領であった東山郷(現岩手県一関市東山町)から産出した御影石が使用されています。県の有形文化財に指定されています。
ニ之鳥居


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