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宮城の旅と歴史
宮城の旅    仙台市青葉区

東照宮
とうしょうぐう
宮城県仙台市青葉区東照宮1−6−1
Tel 022(234)3247


 東照宮は2代藩主伊達忠宗が慶安2年(1649)から承応3年(1654)までの5年がかりで造営した神社です。石鳥居を通り、石灯籠が立並ぶゆるやかな石段を登ると重厚な随身門の奥に社殿が建ち並んでいます。
 東照宮は仙台駅より北へ2kmほどの七北田丘陵南斜面にあります。この地に建てられたのは大崎一揆の際、徳川家康と伊達政宗が共に布陣した縁のある場所だったからです。
 祭神が徳川家康という東照宮は徳川幕府への忠誠心を示すために建立されました。この東照宮は、久能山や日光の東照宮が権現造りであるのに対し、本殿と拝殿を別棟に配している点で著しく様式が違っています。
 幣拝殿は昭和10年(1935)に焼失してその後再建された建物ですが、その他の社殿は被害が少なく、本殿、唐門、透塀、隨身門、石鳥居が国の重要文化財に指定されています。
  日光東照宮(栃木県日光市)を勧請し、社殿の建造に大工延べ13万人、人夫58万人、費用は2万2500両を費やしたそうです。全国から一流の棟梁や絵師を集め、当時の技術の粋を結集した大事業でした。
 明治時代初頭に発令される前は神仏混合で別当が仙台藩一門格筆頭寺院の仙岳院でした。東照宮は明治になって一時荒廃しましたが、氏子の力添えで再興されました。昭和52年(1977)から2年かけて唐門と透塀の修理が行われ、昭和54年(1979)には本殿の修理が行われています。

 随身門は入母屋造り、銅板葺きの3間1戸の楼門形式の8脚門です。当初は銅瓦葺きで要所には錺金具を付けていたそうです。軒下は複雑で肘木は天竺様のようですが和様となっています。2階勾欄は精巧な造りとなっていて均整がとれた重厚な造りとなっています。
東照宮随身門
 内外部とも透漆塗りで、下階は金剛柵で囲み、左右に隨身像を安置しています。各所に唐様、和様の手法をとりいれ複雑な斗組で構成しています。2階正面中央に、妙法院宮堯然親王筆の「東照宮」の扁額が掲げられています。昭和28年(1953)国の重要文化財に指定されています。
東照宮随身門

 唐門は銅瓦葺きの1間1戸の向唐門形式です。正面に円柱、背面には角柱があり、花崗岩の基盤の上に建つ流麗な門です。昭和28年(1953)国の重要文化財に指定されています。
東照宮唐門
 透漆塗りで、扉には鳳凰、麒麟、唐獅子などの彫刻があります。天井と垂木の間、蟇股には牡丹の花、扉の綿板に紗綾形模様を彫出し、鳳凰、麒麟、唐獅子の浮彫を付けています。また金箔も多くの部分に使われていて豪華です。
東照宮唐門

 本殿は御神体をお祀りする社殿の中で最も重要な建物で、内部は内陣と外陣に分かれています。桁行3間、梁間2間、1重の入母屋造り、銅瓦葺きで向拝1間つけています。欅の木目を現した透漆塗りで内外部とも塗装を施しています。昭和28年(1953)国の重要文化財に指定されています。
東照宮本殿
 縁、高蘭などは朱漆塗、外部板安部と床は黒漆塗を施しています。蛙股には松に鷹の彫刻、5ケ所の扉には、天女、龍、唐獅子を浮き彫りし、各所に精巧な鍍金金具を付けています。彫刻には金箔押や生彩色を施し、伊達文化の粋を結集しています。
東照宮本殿

 透塀(すきべい)は透漆(すきうるし)塗りで一周延44間(79.4m)で本殿を囲んでいます。銅瓦葺きで一定間隔に格子を取り付けた連子窓を付け、腰壁には桟をたすき状に配しています。襷文は黒漆塗りで、長押には錺金具を付けています。昭和28年(1953)国の重要文化財に指定されています。
東照宮透塀

 手水舎(ちょうずや)は一間一間、切妻造り、桟瓦葺き、素木造りの簡素な建物です。屋内にある花崗岩製の水盤は宮城県の文化財に指定されています。
東照宮手水舎
 幣拝殿は昭和10年(1935)8月に失火により焼失してしまいましたが、昭和39年(1964)11月、原型に復元され現在に至っています。入母屋造り、銅瓦葺き、桁行き3間、梁間2間で、本殿とは別棟に配されています。
東照宮幣拝殿


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