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宮城の旅と歴史
宮城の旅    塩竈市

鹽竈神社
しおがまじんじゃ
宮城県塩竈市一森山1−1
Tel 022-367-1611


 鹽竈神社は塩竈湾を東に望む一森山の山頂にあります。古代より陸奥国の一之宮として古い歴史をもち、航海安全、国土開発、安産の神として崇敬されてきました。 
 参道は男坂といわれる表坂、女坂といわれる裏坂、そして七曲坂があります。「石の階九仞に重なり…」と芭蕉も記した202段の石段の表坂は大鳥居から楼門まで一直線に延びています。
 神社の建物は左右宮拝殿とその本殿、別宮拝殿とその本殿、回廊、中門、随身門、廻廊、石鳥居などがあります。いずれも国の重要文化財に指定されています。左宮の祭神は武道の神として有名な武甕槌神(たけみかずちのかみ)、右宮の祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)です。
 別宮の祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)といい塩の作り方を伝えてくれた神として有名です。安産の神としても有名で、皇太子殿下が御誕生の折、皇后陛下の母君正田富美子さんがここで御祈願したほどです。
 本殿は三社とも木造素木流造り、桧皮葺き、三方に匂欄の縁があります。別宮と左右宮拝殿はいずれも朱漆塗入母屋造銅板葺で、宝永以降20年に一度の御屋根葺替の式年遷宮の制度を設けています。
 現在の社殿は慶長12年(1607)伊達政宗が再興し神域を定め、元禄8年(1695)4代藩主綱村が造営に着手、9年間の歳月をかけて宝永元年(1704)に竣工したものです。
 武家社会になってからは、当時東北の権力者であった平泉の奥州藤原氏、鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏など武将、豪族の崇敬も並々ならぬものがありました。
 伊達家は慶長5年(1600)に伊達政宗が岩出山から仙台に居城を移してからは社殿の造営を完成させました。明治に至るまで歴代の仙台藩主は大神主として神社を治め、社領、太刀、神馬を奉献しました。

 右宮の前には「奥の細道」で「神前に古き宝燈有り」で知られる素朴で力強い南部鉄の灯籠があります。藤原秀衡の3男である和泉三郎が寄進したもので、扉に「文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白」と浮き彫りがあり「文治の鉄燈」と呼ばれています。
文治の鉄燈
 寛政4年(1792)藤塚式部が献納した日時計です。奇人といわれた林子平が寛政(1989ー1800)のころ南蛮製の日時計を参考にして作ったものだそうです。平らな石盤の上に垂直なほそい鉄線を立て、太陽の光の影を石盤に写して時刻をはかるものです。
日時計
 樹齢500年、樹高22mの塩竃神社の多羅葉(たらよう)です。県の天然記念物に指定されています。鹽竈桜として有名な国の天然記念物桜樹もあります。花菖蒲、宮城野萩など、花の名所としても有名です。
多羅葉


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