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宮城の旅と歴史
宮城の旅    白石市

白石城
しろいしじょう
宮城県白石市益岡町1−16
Tel 0224-24-3030


 白石城は白石の街並みを東に見下ろす、標高76mの益岡公園の中にあります。奥羽越列藩同盟締結地として明治維新の歴史の一コマを飾った城でもあります。城郭は明治7年(1874)解体されましたが平成7年(1995)復元されています。
 白石城の歴史は古く苅田氏が居館を築いたのが始まりです。寛治5年(1091)藤原秀郷から5代目の藤原経清の次男経元は後三年の役で源義家に従って奥州清原氏を討伐しました。その功績により、苅田と伊具の2郡を与えられ、姓も苅田と改名したそうです。
 苅田氏5代秀長は源頼朝の奥州征伐に従軍しました。そして白石と改名しました。その後、戦国時代には伊達氏の勢力下に入りました。天正19年(1591)豊臣秀吉はこの地を会津若松城主であった蒲生氏郷に与えました。
 慶長3年(1598)蒲生氏郷の子秀行が宇都宮へ移封されると、会津若松には越後より上杉景勝が入封しました。景勝は甘粕景継を白石城代として治めました。
 慶長5年(1600)徳川家康の上杉景勝討伐の命を受けた伊達政宗が白石城を攻略し、白石は再び伊達氏の領地となったのです。城主には重臣片倉小十郎景綱が任ぜられました。
 一国一城令以後も、仙台伊達藩は特別に仙台城と白石城の2城が許され、片倉氏は伊達氏の陪臣ながら白石城主として1万7千石を与えられ、代々世襲して明治維新を迎えました。


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