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秋田の旅と歴史
山形の旅       寒河江市

慈恩寺
じおんじ
山形県寒河江市慈恩寺31
Tel 0237-87-3993


 小高い山の山腹に、閑散とした杉木立の中にたたずむ瑞宝山慈恩寺は、天平18年(746)聖武帝の勅命により行基がこの地を選び、婆羅門僧正が開いたと伝えられています。
仁王門
 神亀元年(724)、行基が諸国遊錫に訪れ、都に帰った折り、この地の景勝を聖武帝に奏上され、勅宣を以って開山し、勅願寺と定められたそうです。
 弥勒菩薩を本尊として最上院・宝蔵院・華蔵院の3ケ院、それに付属する48坊からなる一山組織の寺院であったそうです。現在は3ケ院16坊です。
 天仁元年(1108)鳥羽帝の勅宣によって奥州藤原基衡がここ慈恩寺を修復したようです。仁平年間(1151-1153)に奈良興福寺の僧願西上人が再興諸堂を行ったそうです。
 京文化を伝える平安時代後期の仏像が14体もあるのは興福寺からの影響です。興福寺は法相宗の寺であり、慈恩寺という寺号は法相宗の祖慈恩大師からつけられたようで当時すでに法相宗の寺院となっていたようです。
仁王門
 東北を代表する古刹・慈恩寺の本堂は国の重要文化財に指定されています。堂内の普賢菩薩像、阿弥陀如来、文殊菩薩、十羅刹女が国の重要文化財の指定されています。慈恩寺本堂は保存修理のため平成16年まで工事中でした。
本堂弥勒堂
 寛永19年(1642)最上院は上野寛永寺末となり天台宗に改宗し、慈恩寺は天台真言両宗兼学の一山となりました。終戦後一山は、宗教法人として独立し、本山慈恩寺を名乗り、慈恩宗となっています。
本堂弥勒堂
 現在の本堂は元和4年(1618)、山形城主の最上義光が再建したといわれています。最上氏より以前は大江氏の庇護をうけていたようです。最上氏改易後は幕府より3812石の御朱印を受けていたようです。
阿弥陀堂
 宝蔵院表門は慈恵寺の中で一番古い建造物の一つです。屋根修理の際、最古の護摩札が慶長18年(1613)であることからそれより以前に建てられたものです。県指定有形文化財です。
宝蔵院表門
 慈恩寺の山門は楼門づくりで仏教を守護する仁王尊が祭られているので仁王門ともいいます。5月5日の一切経会のお祭りで奉納する舞楽の楽屋としても使用されます。屋根改修の際発見された札で慶長18年(1613)のものがあったところから慈恩寺山中一番古い建造物の一つです。県指定有形文化財です。
仁王門
 薬師堂にある薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)と、この眷族である薬師十二神将は、国の重要文化財に指定されています。これらの仏像は、ワシントンで開催の国際彫刻展に日本を代表して出陳されたそうです。
薬師堂
 高さ26.7mの慈恩寺三重塔です。屋根は銅板葺で山形県指定有形文化財です。慶長13年(1608)山形城主の最上義光(よしあき)が建立しました。その後焼失し文政13年(1830)に慈恩寺の大工棟梁・布川文五郎によって再建されました。
慈恩寺三重塔
 村山盆地ではただ1ヶ所の三重塔です。塔は高欄のない縁をめぐらし、縁の下は板張りになっています。堂内には1本の太い木が中心にさげられており、バランスをとるような仕組みになっています。
 慈恩寺舞楽は国重要無形民俗文化財となっています。
慈恩寺三重塔


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